『ゆるキャン△ 』『ゆるキャン△ SEASON2』『映画 ゆるキャン△』『ゆるキャン△ SEASON3』

大井川旅行で「夢のつり橋」を訪れた際、現地でやたらと『ゆるキャン△』とのコラボビジュアルが目立っていたのが気になり、調べてみた。すると、『ゆるキャン△ SEASON3』では、しまリンとなでしこが大井川を巡るエピソードが描かれているとのことだった。

寸又峡で見かけた『ゆるキャン△』コラボ その1

寸又峡で見かけた『ゆるキャン△』コラボ その2

『ゆるキャン△』シリーズは、無印を観たことがある程度で、それ以降のアニメ化作品にはノータッチだった。今回の旅行をきっかけに再び興味が湧き、あらためて既存のアニメシリーズをすべて観てみた。

 

『ゆるキャン△』Blu-ray BOX

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  • 各務原なでしこ CV: 花守ゆみり
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「ゆる」と銘打っているけれど、しまリンやなでしこを含む「野クル(野外活動サークル)」のメンバーは、常にキャンプに関する情報に触れていて、「あれをやりたい、これをやりたい」とカタログを眺めながら妄想を膨らませるシーンがとても多い。そのうえで、実際に商品を買ってみたり、大垣発案の企画を実行してみたりする。そんなふうに、準備段階から期待が膨らんでいく様子や、失敗も含めた試行錯誤を丁寧に描いているところが良いのよね。しかも、その試行錯誤の機会は非常に多く、サークル活動としてはかなり「ガチ」なのだ。

ソロ志向のしまリンと野クルが対比されているように、集団行動とソロ活動(作中ではグルキャンとソロキャンと呼ばれている)、それぞれの豊かさが相反するものとしてではなく、並列に描かれているのも特徴的だ。そうした他者を尊重する姿勢が素敵だと思う。また、現代的なテキストコミュニケーションのあり方を、早くから作中に取り入れていた作品でもあると思っている。コミュニケーションのネタ作りが、オフラインでの行動につながっていく様子がポジティブに描かれているのも印象的で、「あるある」と共感すると同時に、著者の聡明さを感じる。

 

『SEASON2』を振り返ってみると、浜松、山中湖、富士宮、伊豆と、全編を通して静岡での旅が繰り広げられているのであった。キャンプ場だけでなく、その土地ならではの名物や観光スポットも紹介するようになったことで、キャンプ色はかなり薄まり、旅番組っぽい。ただし、演者はしまリンや野クルのメンバーなのであった。

キャンプの準備に失敗し、ひょっとしたら死んでしまうかもしれない……という「不安」を感じさせる回や、旅が終わってしまうことへの「寂しさ」をなでしこが述懐する回もあり、この不穏さは前シリーズには無かった点だ。『SEASON1』の、真正面から日常を肯定するような、いかにも日常系アニメといったほんわかした趣とは異なり、日常の外にあるものを通じて、あたりまえの日常を寿ぐというテーマが見て取れた。良い続編なんじゃないだろうか。

 

みんなが確かに大人になったのだと感じさせる描写の数々から、高校生の頃とは違うのだということが伝わってくる。以前とは違う部分と、以前と変わらない部分。その両方を確かな重みをもって感じさせてくれるのが素晴らしいではないか。

「アイツらが帰ってきた!」というファンの期待にきちんと応えた、理想的な劇場版オリジナル作品だ。満員電車に揺られながら名古屋に通勤しているしまリンがツボだった。

 

なでしことしまリンを中心とした物語は、『SEASON2』まででひとまずほとんど語り終えたと思うので(しまリンの中にひとつ心残りはあるけれど)、『SEASON3』からは主に他のメンバーの掘り下げが進むのだろうと思っていたが、案の定だった。

大垣もソロキャンを始め、カクテル好きな一面が顕在化したし、犬山はロードバイクというニューギアを手に入れた。なでしこにも「鉄子」という属性が追加された。高校生活の1年が終わり、新入生らしきメンバーのお披露目もあったことから、『SEASON4』では、先輩になった野クルメンバーと新入生の活躍に焦点が当たっていくのだろうと思われる。実際、現野クルメンバーたちには、しまリンに匹敵するほどの熟練者としての貫禄が備わっていると思う。

来年放映予定の『SEASON4』も楽しみだ。

『サイバーパンク:エッジランナーズ2』『サイバーパンク:エッジランナーズ』

Netflixで『サイバーパンク:エッジランナーズ2』が公開されたので、前作の『1』が好きな身として、さっそく観た。

期待していたとおり面白く、エレポップ風味のBGMと映像のカッコよさも相まって、細かいことを考えずとも全10話、約300分を一気見してしまった。前作の細かな設定をほとんど覚えていなかったので、「トラウマ・チーム」や「メイルストローム」といった、この世界観に固有の用語になじむまでには、少しだけ時間がかかった。

基本的にはボーイ・ミーツ・ガールの構造で、主人公が出会う女の子(といっても、主人公から見れば年上)には親子間に問題を抱えており、その親は大企業で要職に就いているものの、娘のことよりもイリーガルな仕事を優先している。……と、どこかで観たことがあるようなプロットではある。

物語の途中から、前作の主人公であるデイヴィッドの「Dの意思」を受け継ぐ、とでもいうような展開になって笑ってしまった。なんだ、この『ワンピース』を思い起こさずにはいられない符丁は。

主人公の二人は、控えめに見てもナイトシティの中では裕福な部類、あるいは中流層に位置する人物たちだ。前作のデイヴィッドやルーシーが抱えていた、閉塞感のなかで流されながらも活路を求めていくような哀切さは、今作にはほとんどない。あの哀切さこそが前作を特別なものにしていたと思うのだが、今作は世界観を引き継ぎながらも、まったく異なるテイストの作品になっているように思う。

 

合わせて、前作も改めて見返してみた。文句なしの傑作。

改めて観ると、オリジナルアニメ(原作となるゲームはあるけど……)にありがちな、物語の語り足りなさがまったくない。それでいて、エピローグの潔さに顕著なように、無駄なところもまったくない。そして、クライマックスで流れる名曲「I Really Want to Stay at Your House」。

巨大企業であるコーポに属していなければ、まともな福祉すら受けられないような超格差社会・ナイトシティ。その庶民層に生まれながら、自分自身の可能性を夢見ることもできず、他人の夢を叶えようとするデイヴィッドの姿に、現代の日本社会を生きる若者たちを重ねてしまう。

あと、『2』でDに殺されてしまう防諜部部長のKateさんが、前作にも登場していることを確認した。

台湾旅行断念!~蓬莱橋(静岡・島田市)~寸又峡・夢のつり橋~大井川鐵道 川根温泉ホテル

  • 台湾旅行断念
  • 蓬莱橋(静岡・島田市)
  • 寸又峡・夢のつり橋
  • 大井川鐵道 川根温泉ホテル

 

台湾旅行断念

10/22(木)~10/24(土)の2泊3日で、台湾旅行を計画していた。しかし、10/20ごろから気になり始めたのが、そう、台風30号(チャンパー)の動向である。

もともと台湾に直撃するかもしれないという話があり、日本と台湾の天気予報で予測が大きく食い違うこともあった。ただ、台湾に直撃しないのであれば、当初の予定どおり、問題なく台湾旅行を決行できるだろうと、どこか楽観的に考えていた。

出発前日からは、台風が台湾旅行に及ぼす影響を注視するようになった。人生で初めてといえるほど、台風情報を追いかけた。そして、JALから10/24に台湾桃園国際空港を出発する便の欠航が発表されたことに加え、台湾の自治体からも、台湾全土で勤務や授業を停止するとの発表があったというニュースが入ってきた。

こうした状況を受け、今回の台湾旅行を断念することとなった。

(上記のツイートは10/23になってからのものだが、10/21の時点で、台北市や新北市を除くほとんどの地域では、すでに停止命令が出されていた。)

風雨の影響が出るのは明らかで、そうなると、観光のメインに据えていた九份や十分へのアクセス自体が難しくなりそうであり、強行しようかとも思ったが、潔く諦めることにした。

……悲しいのは、決して安くない宿泊費と飛行機代がパァになってしまったことである。

帰りの飛行機代については、最終的に予定していた便が欠航となったため、おそらく大半が返金されると思われる。しかし、行きの飛行機代と宿泊費についてはキャンセルもできず、航空券代45,000円と宿泊費11,000円、合計56,000円をどぶに捨てることになってしまった……( ノД`)シクシク…。

もともと台風の懸念があったため、台風が発生する可能性が比較的低い10月後半を旅行の日程に選んだ。それなのに、初めてツアーパックを利用せずに計画した海外旅行に、こんなにもピンポイントで台風が来てしまうとは……。この不運を嘆きつつも、懲りずにまた台湾旅行に挑戦したいと思う。

現地で直面するであろう壁については、まだ実際に経験していないので分からない。ただ、旅行の準備として何をすればよいのかについては、今回の経験を通じて十分に理解できたからね。


平日に有給休暇を取っていたこともあり、せっかくならということで、台湾旅行の同行者が代わりに国内のどこかへ出かけることを提案してくれた。そんな経緯から、私の地元である静岡県内で、私自身もまだ行ったことのない川根の温泉へ行くことが決まった。

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『東のエデン』『東のエデン 劇場版I The King of Eden』『東のエデン 劇場版II Paradise Lost』

 

ED曲を担当しているのがSchool Food Punishmentで、他にも『C』や『UNGO』といったノイタミナ系列作品で扱われていたのを思い出して、懐かしくなった。そういったタイアップの契機はこの『東のエデン』だったのかな。
配信で観たのだが、TV放映のOPはなんとOASISの「Falling Down」だったらしい! 配信版では川井憲次作曲で早見沙織さんが歌う「ミカエルかベリアル」という曲になっていた。

youtu.be

ミサイルが着弾した日本が舞台。『攻殻機動隊S.A.C』からそうだけど、神山健治監督作品には、とにかく平和ボケした日本人への警鐘を鳴らしたいみたいな説教臭さを感じる...。まぁ、ジブリのそれが悪いわけじゃないように、別にそこまで鼻につくものではなく、作家性として納得する。

序盤から3話くらいまではどういった話なのかという全容がなかなかに見えなくて、話にのめり込めなかった。4話くらいから、なんとデスゲームものであることが判明! Mr.Outsideなる人物が恣意的に選んだセレソンなる選ばれし11人。彼らは各自100億円を使って「日本を良くする」という目的を達成しなければならない。生き残れるのは目的を達成できた1人のみ。...というようなルールが開示される。主人公は、なぜか記憶喪失となっており、彼自身がセレソンであるということとこのゲームのルールを忘却していたのだ。断片的に過去に主人公が行った行動の履歴は分かっており、ニート2万人を集結させて何かを行おうとしたらしい...。

上記のようなあらすじなのだが、デスゲームものとしてキャラクターの立ったセレソン同士での駆け引きが見られるかと期待するのだが、そういった興趣は薄め。なにより全11話でそれをやるのは尺的にも無理。テレビシリーズだけでは話も完結せずに劇場版の『Ⅰ』と『Ⅱ』まで見る必要もあり、そこまで見ても11人いたセレソンのうちメインストーリーに絡んでくるのは半分ほど。話もサスペンドの連続と、ガバガバな設定(100億円を11人に自由にさせられる財力とかその仕組みとか)に、作中に出てくる問題提起や「東のエデン」というガジェットとか諸々どうでもよくなってしまった...。

作中に度々出てくるキーワードの一つに「アガリを決め込んだおっさんたち」というのがある。そんな「アガリを決め込んだおっさんたち」に対しての反抗というのが一つのテーマなのだろう。ニートもその反抗の一形態として描かれている。本作が放映されたのが、2009年といういわゆる就職氷河期であることを否が応でも思い起こさずにはいられず、そういった時勢とリンクする作品だったのだろう(実際に、かなり酷な目にあう就職志願者の姿が描かれている)。ただ、正直、今その魅力を感じるのは難しかった。

監督本人が書いた『東のエデン』の小説版があるので、活字で追った方が話が良く分かりそうなので、そちらに触れたいと思う。

2026/09/26 追記

 

というわけで、テレビ放映版と劇場版をそれぞれ神山健治監督自身の手で小説化されたものを読んでみた。

出版はアニメの放映が終わってからなされたもののようだけど、連載はリアルタイムの放映内容とリンクされている...?? どう考えても、説明不足だったテレビ版を補完するように、行き当たりばったりに思えたキャラクターの情動がきちんと追いかけられるようになっている。そこまできちんと解説されたうえで、アニメを観ていて何が腑に落ちないのかというのがようやくわかった。
・ラストシークエンスにおいて、ニートを使って最適解を探る必然性の無さ(画としての見栄えのためだったり、ニートをただただ話に盛り込みたかっただけにしか思えない)
・滝沢がこの国を背負いたがる理由(かれの自己犠牲精神はどこから来るのか)
・滝沢の謎の魅力(セレソンNo.9番に至っては彼にほれ込んで、彼を勝たせようとまでするし)
・テレビシリーズラストに臨む「この国の王様」とは?(劇場版ではこの疑問自体が話の補助線になっていることに気づけたが、結局は「首相」というような意味合いだった??)
 ...とまあ、上記のような点に引っかかって真面目に話を追いかけるのが途中でばかばかしくなってしまったのだな。あと、小説で補完しなければ分からないというような話の作りも、なんだかイマイチに思えてしまう。そもそも、100億自由に使わせることのできる財力だったり、簡単に記憶を消せる効果音だったりと、『デスノート』ばりに作者が構築した極めて都合の良い限定状況を飲み込まないと楽しめないお話ではあったのだと思う。

『ウェルギリウス『アエネーイス』: 神話が語るヨ-ロッパ世界の原点 (書物誕生-あたらしい古典入門)』 小川 正廣 (著)

 

クリストファー・ノーランの『オデュッセイア』に合わせてギリシア神話関係の書籍を読んでいたら、興が乗ってきて、ウェルギリウスの『アエネーイス』を読みたくなってきた。いきなり挑んだら消化不良を起こしそうだったので、事前に概説書である本書に手を出した。

これが大当たりで、本書はまぎれもない名著だった。多少、仰々しく、学のない身としては背伸びしないと届かない表現はありつつも、論理展開が極めて明晰で、きちんと文章に向き合えば確実に意味が分かる。それでいて、ウェルギリウスの『アエネーイス』という書物が、現代においてどのような文脈を形成しているのかが端的にまとまっていて、読んでいて啓蒙されるような感覚があった。この「書物誕生」シリーズは、他の書籍も読んでみたい。

ヨーロッパの思想とは、「ギリシア神話とキリスト教が結びついた上に形成されている」というようなことを、自分は岩田靖夫の『ヨーロッパ思想入門』で初めて学んだが、そのように古代ギリシアの思想と中世キリスト教を結ぶ懸け橋となるのが、ウェルギリウスの『アエネーイス』であるという形で、本書で繋がった。

本書では、『アエネーイス』をめぐる批評(解釈)の歴史が、現代からさかのぼる形で描かれる。この描き方が痒いところに手が届く感じで、読んでいて「ん?」と思うようなところがない。

ウェルギリウスといえば、ダンテの『神曲』に出てくることで有名であるが(らしいです...)、その中世の詩人であるダンテによるウェルギリウスの再評価がいかに卓越したものであるかについても触れられている。

つまりダンテが登場させたウェルギリウスは、いつでもどこでも偏在しうる万能の魔術師などではなく、古代ローマ時代の特定の時期に、詩作品という特定の文学的業績を残して生涯を終えた、はっきりと歴史的に限定づけられた人間なのである。(p57~58)

この箇所を読むとダンテが批評家としてはかなり現代的なことをウェルギリウスに対して行っているという事が良く分かる。同時代の誇張された幻想をはぎ取ってありのままを評価しようとする姿勢がそうだ。これだけでもダンテの『神曲』を読んでみようという気にさせられる。

ダンテ『神曲』によって、世俗的国家の栄光を謳いあげた作品として限定的に位置づけられた『アエネーイス』は、ダンテの死後のルネサンス期においては、その理念の合致により、ヨーロッパ各国の文芸作品へ影響を与える事となった。結果的に、ダンテ『神曲』が取りざたされなくなってしまった一方で、『アエネーイス』の受容は第一線で行われ続けたわけである。

その後の、十六~十八世紀のヨーロッパ、いわゆる絶対王政の時代においても『アエネーイス』は、主として国家の指導者の理想像を描いた文学として読み続けられた。現代においても、2度の世界大戦の経験を得る中で、ヨーロッパを統一する象徴として批評の俎上に上がり続けた。

本書は2部構成となっており、1部は「書物の旅路」と銘打たれて、今までこのブログで書いてきたような『アエネーイス』の受容史が語られる。その後、2部ではより詳細に作品そのものに分け入っての解説が行われる。

全体を通して一番印象に残ったのが、数少ないウェルギリウスという人物そのもののスケッチで、

「~、性格は相変わらずはにかみ屋で、ナポリでは多くの人々に「乙女(パルテニアス)」というあだ名で呼ばれていた。たまに首都ローマに滞在しても、公衆の中で指さされたりすると、いつも近くの家に逃げ込んだという。」(p88)

とあり、共感を禁じ得ない(笑) この挿話の出典元とか知りたいものである。

 

以下、読書メモ。

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『旅して学ぶ台湾 (岩波ジュニア新書 1012)』赤松 美和子 (著), 洪 郁如 (著), 胎中 千鶴 (著), 山﨑 直也 (著), 劉 彦甫 (著)

 

もともと先住民族が暮らしていた台湾では、17世紀に外来の統治者がやって来るまで、文字文化を持たず、口承によって自らの文化を継承してきた。

本書では、最初の外来の統治者であるオランダによる統治から、明の遺臣である鄭成功による支配、鄭氏政権の崩壊後の清朝による台湾統治、日清戦争後から太平洋戦争終結までの日本による植民地統治、そして蒋介石を指導者とする中華民国政府による統治へと至る歴史が描かれている。さらに、国民党による言論統制、李登輝政権による民主化から現代に至るまでの流れが、わかりやすくまとめられている。

こうした統治者の移り変わりに伴い、台湾の政治・経済・文化がどのように変化していったのかという点が本書の主軸となっている。一方で、それぞれの時代に必ず描かれるのが、統治者と台湾の先住民族(中国大陸から移住してきた漢人とは異なる)との軋轢である。これは、現代における人権意識の高まりとともに、主流の台湾史とはまた別の視点として、当然読者に知っておいてほしい知識なのだという、著者陣の熱意を感じる。

また、歴史的な事件が起きた際には、現在も残る史跡について記述されており、章末にはその史跡の一覧や住所、さらに史跡めぐりを織り込んだ旅行コースのサンプルも掲載されている。本書のタイトルである「旅して学ぶ」という趣旨が、こうした形で実現されている。

以上、台湾という国に関心を持ち始めた人にとって、入門書として最適な一冊だった。

第二次世界大戦後、中華民国による統治が始まって以降の台湾の現代史をより詳細に把握したい人には、以下の書籍も良かった。

saw13.hatenablog.com

 

以下、読書メモ

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『ホメーロスの オデュッセイア物語』(上) (下) (岩波少年文庫)バーバラ・レオニ・ピカード (著), 高杉 一郎 (翻訳)

 

「そこがわたしの生まれ育った故郷だというだけで、どうしてもそこへ帰っていきたいと思うのです。」(p153)

しかし、オデュッセウスは行く先々で様々な人物から愛される。神にもニンフにも女王にもだ。苦難を乗り越えつつも、自分の知性と根性を愛してもらえるというプロットには現代にも通じる願望充足ものへの影響を確かに感じる。

また、行く先々の植生が詳細に描かれているのも特徴で、色彩の表現も多様であり、『イリアス』とは文体から異なる。帆船型の船の操作のディティールもかなり事細かに描かれていて、紀行文として受容されていたことも窺える。

どうしても、最近見たクリストファー・ノーランの『オデュッセイア』と比べながら読んでしまう。映画本編に対してもツッコミを入れていた人がいたが、そもそもオデュッセウスがなぜあんな良い武器である強弓を実家においてトロイア戦争に赴いたのが謎なんだよなw その理由は本書でも特に記されていなかった。映画と本書で大きく異なるのが、オデュッセウスの息子であるテーレマコスのパートにおいて、印象的なパートナーがいる点。スパルタ王メネラオスのところに行く前に、ネストール王のところに寄った際に、その息子であるペイシストラスが連れ合いになる。また、目的を達成してから、イタケーに帰還する際にテオクリュメノスという予言者も期間に随行する点。両者ともに映画には出てこなかった。

エピローグ的に、オデュッセウスに倒された求婚者の親族が復習に来るという章が存在している。もう一人映画には登場時ない人物として忘れ難いのが、オデュッセウスの父であるラーエルテースであり、復習に来たアンティノオスの父親であるエウペイテースがおり、彼が放った槍によってラーエルテースが打倒されるのだ。その後、女神アテナの仲裁により話が収まり、大団円。