『原神』~3章第1幕「煙霧のベールと暗き森を抜けて」

今年の1月から2/9までかけて、『原神』の2章「稲妻」編を遊んでいた。みっちりと「稲妻」のマップの探索も一緒に行っていたので、丸まるひと月近く時間がかかってしまった。大体、おおむね『原神』においてデイリーやウィークリー(?)で回せるようなタスクは把握できて、主要キャラクターの育成も終わりまでの過程が見えてきたような状態。

 

「稲妻」

おそらく日本を模した架空の国である「稲妻」。製作者はとても日本について勉強しているのが分かるような描写がいたるところにあり、感心してしまう事が多かった。

賄賂を仄めかされている...?

契約が主軸に据えられていて、すくなくとも取引の内容が明示されていた「璃月」とは違い、上記のように仄めかし、空気を読む、といったなんとなくで話が進んでいく様が描かれる。どの程度、こういった俗流の国家観が実態を反映しているものなのかどうかは判別できないけど、少なくとも以前存在していたように思えるハリウッドなんかでの勘違い日本描写を楽しんでいたような風潮とは一線を画していて、きちんと「日本」が織り込まれている。

「手数料」自体が私的な要望なんだ。

手数料をいくら取ろうとも最後はすべて監察官の懐に入る。

そんな時に現地の友達がいる重要性、君たちにも分かるよね。

上記のやり取りなんか「ひええ」と声を挙げそうになってしまった。ひたすら属人的で、法律すらもそんな運用である現代日本そのままじゃないか。こんな感じで逐一的確でチクチク来るのが「稲妻」編である。

世界任務における「たたら物語」なんかに顕著なんだけど、任務もリアルタイムでの日数を跨がないと進行できないようなものもちょくちょく出てきて、プレイヤーの習熟を前提として難易度が上がった印象が強い。ただ、マップ上のギミックはひたすら面倒くさいだけで、95%以上攻略動画見て対応した。検索してみると案の定似たような声がチラチラと。ちなみにほとんどこの人の動画↓

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「稲妻」編の神である「雷電将軍」のカリスマ性が魔人任務の面白さを牽引していて、ちょうどイベント祈願でも「雷電将軍」を引ける状態なのでプレイアブルキャラクターであることに贅沢さすら感じるレベル。

「契約」をもとに、過去から未来へ継承されていく人と仙人の思いというのがテーマだったように思うのが「璃月」編だったとしたら、不動の「永遠」と不安定な「須臾」との相克というのが主軸となっている...ように思う。ここら辺は「腐敗した民主主義」と「優れた専制政治」という『銀英伝』のテーマや、アーサー・クラークの「都市と星」のような情報化して普遍となった人類のようなSF的モチーフも想起させる。

十二国記』のアイデアが『銀英伝』の影響を受けて「死ななないラインハルトがいたら...」という思考実験から始まったらしいが、まさに「原神」世界の「神」がそうなんだよな。

kiyolive.hatenablog.com

十二国記』の国を統べる役職である「王」は、天意を受けた「麒麟」に選抜されるわけだけど、『原神』の「神」にはその過程すらなく、直接「天理」に選ばれているように見える(今後のエピソードでより詳細が描かれるとは思う)。仙人や天の意思であるとされる天意や天理といった存在が当たり前のように存在する世界観はおそらく道教由来のものと思われて、中華文化に対する興味が実に掻き立てられる。そして『十二国記』がいかにそれらを咀嚼しているのかというのが良く分かる。

この「永遠」と「須臾」と「神」をめぐる話はなんだったらおそらく「テイワット」世界の根幹に触れる概念でもあるらしく、「鍾離」先生と「雷電将軍」の魔人任務で「稲妻」のその後に触れられていた。...し、他のキャラの伝説任務でも要所要所で出てくる。

残留できるのは強烈な感情のみ。時がたつにつれ、記憶は薄れる。

摩耗によって若陀龍王の思考は奪われ、旧友の面影も思い出せなくなった。

「摩耗」は天理の成すものであり、止められない力であったからだ。

上記は、鍾離の伝説任務「匪石」内のもの。繰り返されるのは「摩耗」は避けられないということ。そして、天理の意思である「摩耗」は神すらも避けられないということ。このテーゼが隣接する中で繰り広げられるモラクスと若陀龍王の友情が非常にドラマチックで印象的だったのがこのエピソードで、これが変奏されるような形で『原神』内で繰り広げられていく...といいなーと思う。実際、「稲妻」での「雷電影」と「雷電眞」「八重神子」のエピソードもそうであるといえる。

十二国記』もそうだったけど、自分はこういう周辺から、明確な輪郭を持たない「天理」(おそらく、道理だとか理そのものみたいな存在だと推測される)のような存在に近づいていく話が好みみたいだ。段々と話が進むにつれ、絶対的な存在である「天理」の正体が掴めるのか否か。普段、あまり触れていない体系を感じて、とても知的興奮を覚える。ただこれ『ベルセルク』なんかにも感じる興趣なので、とくに中国文化に限ったものでもないとは思う。
こういったエピソード内でも非常に含蓄ある言葉が多々あって、陳腐に思ってしまうようなことがない。それでいて「情」を大事にしているのが特色で清々しい気分になる。

人情という二文字は、人類が最も誇るべき思想であろう?

雷電将軍」の伝説任務では魔人任務のその後が描かれていて、一度「永遠」を志向した「雷電影」がどういった変遷をたどれば変化していくのか納得できるものになっている。

私は私であり、一人しかいませんが、無数の形で存在することができるのですね。

「永遠」を追い求める私でさえも、存在の形が変わり続けていたのですね

「夢想」即ち、より良い未来への憧憬だったのです。

それも一種の永遠なのです。

眞は結果を気にしなかったのです。

ここら辺の「永遠」をめぐってグルグルと観念的な思索が繰り広げられるところは非常に勉強になって、盲を啓かれるような思いがした。『勝手に改造』だったか『さよなら絶望先生』だったか忘れたけど、「恋愛よりも恋愛の予感のほうが素敵だったり...」みたいなネタがあって、わりとシニカルで揶揄するような切り口だった思うけど、そりゃそうだしそのささやかな期待こそ大切にしろよ、と思った記憶がある。バンプ藤原氏の「昔ラピュタを見て、自分には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した」って、割と多くの人間が思う事だと思うけど、「空からシータみたいな女の子が来たらなー」と夢想できることこそを寿ぎたいというか。

永遠に摩耗することのない意志は、結局のところ、未来を抱けないのですね。

そうかーー。永遠に摩耗することのない意志は、未来を抱けないのか。納得した。

 

「日本文化」

上述のように非常に中国文化がベースになっていることがテキストが滲み出ている。同様に、「稲妻」内では過去の日本文化だけでなく、現代日本の文化もきちんと勉強なりリサーチして取り込まれているのが良く分かる。正直、それはいかにもな萌えキャラのビジュアルや言動から分かるものの、通り一遍ではないのが凄い。

個人的には昨年度の東京国立博物館で開催された「やまと絵」展や、徳川美術館で開催された「大蒔絵」展、近世から近代の日本美術において、頻繁に参照される日本の古典を勉強しなければいけないと思っているタイミングで、この原神に触れたこともあってか「源氏物語」や「古今和歌集」のフレーバーが感じられる点に惹かれた。丁度、今年の大河は紫式部が主役の『光る君へ』だしね!

花散里

例えば、上記の「花散里」は「源氏物語」のヒロインの一人の名であり巻名の一つでもある。

youtu.be

雷電将軍」のPVでは、「古今和歌集」の835番「寝るが内に  見るをのみやは  夢と言はむ  はかなき世をも  うつつとは見ず」が引用されている。訳は「寝ているうちに見るもののみを、夢と言うのでしょうか。いえ、このはかない浮世も、現実とは思いません。」というもので、まさに「雷電影」のキャラクターに即した内容となっている。このPVみてからいきなり「古今和歌集」でもっとも好きな歌がこれになってしまった。

...で、やはりこういった『原神』内の日本古典への造詣の深さに関心持つ人はいるようで、見事にまとめてくれている人もいて勉強になる。↓上の訳はここから。

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思わずにやけてしまうような、現代日本ラノベ描写への言及もあって、その解像度の高さに驚く。

テキストも言及するだけして満足するんじゃなくて、突っ込みを入れたり、それらを楽しむ心理や創作する側の熱気なんかも描かれていて、エンターテイメントとして消化されているのが良いんだよね。

 

「神里綾華、宵宮、雷電将軍」

本格的にこの「稲妻」編から課金を始めた(本当は、料金を課することだから、払う側がこれを使うのは変だよね)。

「稲妻」の魔人任務を進行させるには「神里綾華」と「宵宮」の伝説任務をこなさなければならなくて、これがまたキャラクターを好きになれるようなもので非常に良かった! 合間に挟まるムービーの質が高かったのもそうだけど、演出が良くて物語が格段に上手くなっているのを感じる。ここら辺は、「スメール」「フォンテーヌ」と魔人任務が進むうちにどんどん質が評価が高まっているように思えるの今後が非常に楽しみ!

ちなみに上の画像は、プレイヤーが動かすゲームシークエンスで宵宮は散々おしゃべりなのを強調しておいて、花火を見つめるムービー中のシーンになる。素晴らしい。

ちょうどイベント祈願で引けるキャラクターが「神里綾華、宵宮、雷電将軍」で、またとない運命を感じてしまった...。

実際、主人公の攻撃力だと敵が固くて、世界ランク3を突破して4になったあたりから、ゲームの進行がつらく感じるような局面も大きく、アタッカーとしての役割を振れるそれぞれ属性の違う二人をここで引いておいたのは非常によい判断だったと思う。配信者はある程度上級者目線で勧めるので、アタッカーに相当するキャラがいないのは厳しい。動画にもここらへんのことを指摘しているものがあった。

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『原神』への課金は「創世結晶×6480」と「創世結晶×3280」と「天空紀行」「空月の祝福」2か月分で、だいたい2万円近くになった。で、このガチャを引くのがじつに楽しいんだ。天井という概念があり、目的のキャラを引くにおいて、最大でこれだけ引いたら確実に出るという値がある。ガチャ中はこの天井に達する前に引けるかどうかに焦点が当たるんだけど、この前提知識があることによってリアルマネーを賭けているスリルが生まれる。なので、他人がガチャ引いてるのを見るのも楽しいんだよね。

この興趣ってギャンブルそのものだと思うんだけど、そういった疑問含めてきれいにまとめてくれていた記事がこちら↓

凄い腑に落ちた。

saize-lw.hatenablog.com

まずガチャを持たない売り切りのゲームが持っている根本的なジレンマは「売り切った以上はユーザーがゲーム内容の全てを潜在的には体験可能でなければならないため、シミュレーション体験の要である分岐の選択に重みが無い」ということです。

そこで分岐に重みを取り戻すのがガチャシステムです。ガチャは10連3000円程度にして一点狙い1%以下という異常な高額がデフォであるため、ユーザーは金銭的な限界によって入手可能なユニットの数と種類が否応なく絞られます。しかも完全な確率分岐であるため、望む分岐に確実に進む方法は存在せず、好むと好まざると関わらず分岐への賭けを余儀なくされます。売り切りのゲームとは逆に、仮に天井まで引くにしても一回一回のガチャには「毎回腹を切っていて絶対にやり直せない」という圧倒的な重みが伴います。いくら結果が塩だったからといってセーブデータをリロードすることはできず、一度引いてしまったらそれで戦うしかありません。

成程ねー。ただ上述の内容は、ギャンブルそのもののガチャシステムに対して「これゲームか?」と沸いてきてしまった疑問に対して、「そもそもソシャゲはギャンブルの面白みを取り込んだ最先端のゲームだ」と回答しているようにも見えて、そうするとゲームとギャンブルの境目はどこかみたいな疑問が湧いてきて興味は尽きない。

そこそこ課金してみて気づけたこととして、ガチャをまわして手に入れた低リアリティのアイテムごとに、別途で素材と交換できる「スターダスト」というアイテムが入手できるために、とにかくガチャで外しても一方的に損した気分になりづらい。この「スターダスト」の立ち位置も絶妙で、課金して交換できるのはキャラクターの衣装とかガチャのみで、直接素材の交換はできないようになっている。結果的に素材と交換できる「スターダスト」の価値が上がる(相対的に下がらない)。ガチャを回す=育成キャラが増える、なのでそこをこういった要素できちんとカバーしてくれてるんだよね。親切だ。

あと、『原神』キャラクターは目の周りに赤いメイクしている人が多くて、凄い色っぽくて良いと思う。これ京劇由来なんだね。

「プレイ感」

第2章4幕「淵底に響くレクイエム」と間章2幕「険路怪跡」を終えて、スメール編に突入する前段階で、主要キャラクターのレベルは90まで到達する者が出てきた。メインアタッカーの「神里綾華」と「宵宮」はそうで、ほかに「バーバラ」(神里さんの氷元素に合わせる形で水元素を付着できる元素スキルが非常に優秀で、回復薬も担えるため育成した)と、「ノエル」「ベネット」がレベル80という状態。「ノエル」が前章のタルタニア戦から、シールドを張れる元素スキルの優秀さが極まってきて、直近のイベント祈願で引ける星4キャラとしてもピックアップされていたため、「命ノ星座」を完凸までさせることもできて、いよいよきちんとメインパーティには欠かせない存在に。初期のころは、スキルも弱いし、使いどころ分からないしで、鉱石採集にしか利用できていなかったんだけどね...。成長したなぁー >ノエル、自分。

天賦突破素材も、レベル6からレベル7に上げるタイミングで週ボスが落とすような素材が必要になってきて大分重たくなってきた。ただここまできちんと育成できていると魔人任務や世界任務ではほとんど困ることはなくなった(世界レベル6の状態では)。一部の週ボスと、秘境の最高難度、敵を倒すタイプの時間制限ギミックなどはマルチで他人の力を借りたり、後回しにする必要があるが、フィールドボス倒すにもいちいち料理でバフ欠けていた状態からは大分遠くまで来た感触がある。

キャラレベルや武器レベル、天賦突破素材など常に素材が必要な状態になっているので、毎日補充される樹脂リソースで行う事は、もうノルマとして定まっている状態。ここら辺はもう完全にルーティンだなと感じて、割と飽きたり飽きなかったり。ただこういったルーティンが存在することのありがたみもある。アジカンの「24時」という曲の「 明日はどんなことしようかなんてこと何時しか僕らは失くして 随分濁った」というフレーズが好きなんだけど、ルーティンのおかげで、明日はこれしたい! みたいな感情がよみがえったんだよね(これをしなければ!という切迫と紙一重)。ありがとうmiHoYo。

デッキ構築系のゲームもそうだけど、「ハックアンドスラッシュ」の魅力も突き詰めると多分、ここにあると思ってる。明日はストーリーを進めようか、それともこのキャラクターの武器素材を集めようか...こんなことを考えながら明日を迎えられる幸福がある。Abemaのゲーム依存症特集で、「オンラインゲームは社会」「学校も社会もすべてはバーチャルな概念上のものだから、そこで役割を与えられたときにもの凄い生きがいを感じる」みたいなことをコメンテーターの人が言っていたけど、『原神』やっていると気に感じる魅力には、それに近しいものを感じる。SNS上での二次創作や実況動画なんかのプレイヤーの発信がさかんで、そこで自分なりの推しを作って、それを得るために努力すると、一つのコミュニティに属しているような感覚を得られる。これは全く悪い意味で言っていない。日常生活であまりに社会を感じる事がないので、それ故に社会を感じたくて、今大流行のゲームに乗っかったところは存分にある。結局人は何かに依存しなければ生きていけないのだとしたら、それを選ぶ必要があり、その中でゲームという選択は極めて穏便なんじゃないのかな、みたいなことまで思考が広がった。...というか、これソシャゲの魅力でもあり、ひいてはリアルタイムで流行を追いかける楽しみそのものかもしれない。オードリー若林のエッセイにも、30歳超えて初めてゲームにはまった体験が書かれていて、「ネガティブをつぶすのは没頭だ」みたいなことが書かれていた記憶がある。依存とまではいかなくても、自分自身に拘泥するより、ほかにのめり込むような対象が必要なんだよな。

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「天空紀行」に課金したこともあり、ゲーム内の実績解除ごとにデイリーや期間限定で良アイテムが手に入れられるようにもなった。これを意識した結果、エリアごとの「都市評判」任務や、「塵歌壺」のコンテンツも回すようになった。香菱や雷電将軍用「漁獲」という無課金で手に入る強武器入手のために「釣り」も行うようになったしで、多分、「七星召喚」以外の『原神』内コンテンツには一通り触れられていると思う。

ちなみに、2章のMVPは「ハールヴダン」さん。2章4幕での文字通り驚愕の事実や、ダインスレイブとの友情には涙腺を刺激されました。