『甲鉄城のカバネリ』(アニメスタイル010)

 

甲鉄城のカバネリ』を見た。いきなり結論から言うと、ルックのかっこよさからとても期待して見始めたけど、あまり合わなかった...。

1話観たときに、主人公の演技だけ熱が入りすぎてなんか浮き上がってるように感じて、結果的にこの違和感が最後まで拭い去れなかった。

まずは、絶対に尺が足りない。最低2クール24話は必要だったはず。世界観を説明するのに手いっぱいで、キャラクター同士の関係性を深めるような描写が足りなさすぎるので、主人公含め全然魅力的に見えないのが痛い。また、そのせいでここぞという時のキャラクターの情動に付いてけず、まったく作品に乗れなかった。世界観や澤野サウンドは魅力的な分、とても残念でもったいない作品に思う。

アニメスタイルのインタビューなんか読むと、主人公の時代錯誤な感じは狙ってやっているらしく、監督自身のパーソナリティーが反映されたものらしい。

p18

荒木 〔……〕「作中の人物にどう扱われているかが、お客さんにとってその人の印象値を決める」という法則に、ある日気が付いたんです。〔……〕主人公の生駒は、基本設定として癖のある人間だったので、放っておくとただの嫌な奴だったり、嫌われるだけの奴になりかねない。だけど、逞生(たくみ)が生駒を大事にしているから、お客さんも生駒を大事にしたくなるキャラだと思ってくれる。〔……〕

この作品のインタビューでこういう理論だった演出論を読めたのは意外だった。言われてみれば確かにと腑に落ちる。

p18

小黒 「癖のある人間」だという話が出たけれど、生駒って粘着質じゃないですか。どうしてああなったんですか。

荒木 それは俺が基本的にそういう人間なんだと思います。俺をキャラクターに移植することが目的だったわけではなくて、主人公をそれなりに説得力のある存在にするためには、己を入れるくらいしか方法を知らないんですよ。

ギルティクラウン』も同じように自分を入れていたんですが、好かれるキャラクターにはならなかった。それは、俺という人間が基本的にキモイ奴だからそうなったんだと思うんです。主人公がキモくならないようにするために取った手段が、親友に彼を大事にさせる。もう一つは女の子にボコボコにされる。

ここで『ギルティクラウン』の監督も荒木監督だったのかと初めて気づく。そしてあの主人公も確かにウザかったのを思い出した。あの後に『進撃の巨人』の監督をやれたのかー、と感心してしまった。いや、凄い上から目線だとは思うんだけど。それくらい『ギルティクラウン』はひどい印象が強かった。

...と同時に、上記のインタビュー読んで思わず笑ってしまった。愚直に反省できる素直さと、その改善策に(笑)

 

劇場版の『甲鉄城のカバネリ 海門決戦』もそのまま見たけど、人間とカバネ、カバネリの相克みたいなテレビシリーズ同様のテーマをなぞっていたせいで、イマイチだったテレビシリーズをひっくり返すようなものにはならず。もっと別軸で何か見せてもらいたかった。あと、主従関係で恋愛をほのめかすのはやっぱちょっと一線守ってほしかったところ(菖蒲と来栖のこと)。