『聲の形』(アニメスタイル010)

ちょっと見るのが怖かった『聲の形』をようやく観た。

私が、アニメ映画で最も好きな『リズと青い鳥』の監督でもある山田尚子監督作品。『リズ』が2018年の公開で、『聲の形』は2016年公開。『リズ』で打ちのめされるような経験をしたのに近しい鑑賞体験を今作でも得られた。2時間を超える上映時間はアニメ映画としては長尺だと思うが、まったく気にならない。目の前で流れる映像の情報量に圧倒されているだけであっという間だ。

そして、以下感想。

2回見たのだが、1回目を見終えたタイミングで得た感想が以下のようなものだった。

西宮が希死念慮を抱いたり、自己肯定感(嫌な言葉で、適切とは思えないが)が下がったのが、いじめが原因なのかそうでないかで大分話が変わってくるように思える。どう考えても西宮は何も悪くなく、健常者/障碍者という枠組みにおいては、そういった言葉での間仕切りなんか陳腐で何の意味もなかろう。しかし、いじめの加害者/被害者という立場では、当時のクラスメイト達と同じ立ち位置には居ないはずだ。

聴覚障害といじめの被害者であるということが切り離せないように、自己嫌悪に陥ったりコミュニケーションを希求するような西宮の性質も、本人を構成する大事な特性であるはずだ。と、いうようなことがテーマとして重要なんだと思う。

しかし、それがきちんと描かれているからこそ上述したような非対称な関係性がただただ気になった。

上記の感想は、2回見ても基本的なとこに変化は無かった。

ただ、『アニメスタイル010』での監督のインタビューを読んで演出意図を意識したうえで見ると、腑に落ちなかった部分で納得できるところも増えた。

気になったところを抜粋してみる。

 

p147

山田 〔……〕映画としては、色味や画面の空気のほんの些細な部分、無意識的な部分までネガティブな要素を極力排除しました。動きの方向性とか、物理作用みたいなところについても気を付けています。

小黒 ああ、なるほど。

山田 動きも前向きで上向き、というのを意識しました。気持ちが引くような動きをなるべくさせない。引く動作を入れることによって、観ている人の気持ちが後ろに持っていかれる。

小黒 個々の芝居づけに関してもネガティブな印象を与える動作をさせないという事ですね。

山田 本当に些細なことなんです。例えば、振り向くときに(振り向く途中で、顔がやや下方を向くような動作をして)こんなふうに動くことがあるんですが、それを(振り向く途中で、顔がやや上方を向くような動作をして)こういう軌道にする、とか。

小黒 振り向く動作の途中で、顔が上方か下方を見るなら、上方を見る方が観ている人にとってポジティブだという事ですね。

 

p147

小黒 アニメーションだから映像は美しい方がいいんですけれど、美しい事に演出的な意味があるわけですね。

〔……〕

小黒 さらに言えば、登場人物の彼らが生きている世界は綺麗な世界なんだ、という事を映像で伝えたいわけですよね。

山田 そうですね。彼らはいっぱい悩んでいますけど、ちょっと見方を変えたら、ほかに広い世界があるわけじゃないですか。まだ気づく事ができていないだけで。彼らの悩みが小さな事だとは決して思えないですので、ただただその彼らを包む世界は懐深く在ってほしくて。将也達にいつ気づきが訪れるのか、それは本人達にも分からないし誰にも分からない事なんですが。だから、空は綺麗であってほしかった。

上記の二か所でおっしゃっていることは、山田尚子監督の他作品でも共通することじゃなかろうか。「美しい事に演出的な意味がある」というのに深く納得。

 

p148

小黒 〔……〕キャラクターが二人並んで話をしているというシチュエーションで、本来的には1フレームに収まるのに、それぞれ一人ずつの2カットで見せるというカット割りが多かったですよね。あれは二人の距離感を出しているわけですよね。

山田 それを自分で言うのは恥ずかしいですけど、そうです(笑)。

小黒 二人が並んで話しているんだけど、心の距離は離れているという事を表現しているわけですよね。

 

p148

小黒 頭切りの構図も多いですよね。構図の下の方に余裕があって、キャラクターの顔が上側にフレームアウトしている。喋っているんだけど、肩までしか映していない。

山田 ああ、そうですね。この作品の内容を考えると、人と喋っているのを撮るのに、そのキャラクターをフレームの真ん中に入れてお話しさせるなんて、なかなかそんな勇気は持てない(笑)。そういったところで、この作品のテーマとシンクロできていたような気がします。

小黒 人の顔を見る事ができない主人公と、カット割りがシンクロしているわけですね。

↑の内容を踏まえたうえで、改めて鑑賞すると、たまに一つのフレームに複数のキャラクターが収まっているときも大分遠景であんまりキャラクターの感情に寄り添わないのがわかるし、だからこそある程度近景で二人以上のキャラクターが映っているときが際立つ。

 

最初に見たときは、西宮がああいった行動をとるに至る流れが唐突に思えたけど、丁寧に施された演出を読み解いていくと、あながちそうでもないと思いなおした。ずーっと西宮が蚊帳の外なのが分かるからだ。

この『聲の形』とか、これ以前の監督・演出作品でも培われてきたような技法はおそらく『リズと青い鳥』でも発揮されていて、これが山田尚子という人の作家性なんだなと深く納得した次第。改めて見返したくなった。