『太陽の王子 ホルスの大冒険』『じゃりん子チエ』『パンダコパンダ』『パンダコパンダ 雨ふりサーカス』

太陽の王子 ホルスの大冒険』から、高畑勲監督のジブリ以前の作品を見ていた。

鑑賞にあたってガイドラインとして利用したのが、以下の書籍。

ほとんど、アマプラにあるということもあって、過去の名作を簡単に視聴できるというのはとてもありがたい(『セロ弾きのゴーシュ』だけない...)。

 

これは批評を読んで俄然惹かれた作品。

冒頭からヌルヌル動く作画に驚きつつも、静止画を多用するシーンも多い。特に見せ場であるところとそうでないところの緩急が悪い気がした。『「アニメ評論家」宣言』によると、止め画で表現されていた群狼の襲撃シーンは会社の要求に従った結果で、数百枚描かれた動画はボツになったということらしい。なんともったいない!

そして、この作品の評の何にそこまで惹かれたのかというと、それは作中キャラのヒルダの表情の魅力が力説されていた点。wikiなんか見ても、この作品のヒルダの演技が凄いというようなことが書かれている。このアニメの演技に、誇張されていて類型的だとされている、引き込まれるという感覚はそれこそ自分が、1999年の日本アニメーション版『HUNTER×HUNTER』に夢中になった感覚におそらく近い。自分が受け取った感動が、言葉にされているように感じて、それが日本アニメ史の古典的な名作にあるものだというので興味深く思ったのでした。

p82~p83

二つの場面に共通するように、ヒルダにはいつも自分を見ている自分がいる。しかし、眺めることでどうなるものでもない。自分は、どんどん望まぬ方向へと進んでいってしまう自分を見つめる事しかできないのだ。このヒルダの心のあり方はまさに現代的で、『ホルス』が現役の作品である理由の一つになっている。

こういうキャラクターの自意識まで感じさせるような作画・演出のルーツがこれなのかというのを知られたのには感動があった。

 

こちらは、冒頭から、小学生が「働かないといけないから、勉強する時間がない」みたいなこと言ってる状況が切なくてまっすぐに見れなかった。

『「アニメ評論家」宣言』に、高畑勲の『映画を作りながら考えたこと』からの引用があった。

高畑勲いわく、生活アニメの特徴として以下のように記している。

「物語の大きな流れは原作の進行にまかせ、そのなかで主人公の日常にいわば密着取材して彼等の一日一日の生活(生き方)を克明に追いかける。まわりの人々との心の触れあい、主人公の喜怒哀楽は充分に描いて見せるが、日々の小事件や出来事からすぐ教訓をひきだしたり価値判断を加えたりせず、あくまで日常的な事象として取り扱い、それに視聴者を立ち会わせ、主人公とともに生きることを可能にさせる。まわりに配された大人達も、無理に子供の理解できる範囲に醜悪(矮小)化または英雄(巨大)化せず、様々な性格をもった等身大の大人として現実的に描く」

ここで言われてることに引きよせて考えてみると、もういきなり細かい描写から価値判断を行ってしまい、主人公のチエと一緒に生きて同じ時間を過ごすことが出来なかった。これは、視聴者である自分がこの作品を楽しむ資格をなくしてしまったという事なんだと思う。

 

 

パンダコパンダ

パンダコパンダ

  • 杉山 佳寿子
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これは、主題歌がやけに耳に残った。母親に見たことあるかと聞いたら、「観たことはないけど主題歌だけはなんか耳に残ってる」といっていたので、公開当時も流行ったんではないかなと予想。

youtu.be

こちらの二作は、『パンダコパンダ 雨ふりサーカス』の以下のカットがやけに印象的で記憶に残るようなものだった。

このままジブリでの監督作品も見ていこうかな。実は『かぐや姫の物語』以外見られていない...。