「ピカソ 青の時代を超えて」ポーラ美術館

1/13 「ピカソ 青の時代を超えて」ポーラ美術館

 

今年初の美術展は、ポーラ美術館のこちら。

 

神奈川はお隣で箱根は近いものの、多分観光に来たのは初めて。

以下の本を予習で読んでから来館。

キュビスム芸術史―20世紀西洋美術と新しい〈現実〉

もっと知りたいピカソ 改訂版

ピカソ 剽窃の論理

ポーラ美術館

ポーラ美術館

駅から思っていたよりも離れた立地。駅前から直通のバスが出てたのでそれで来た。

 

国立西洋美術館で行われていた「ベルクグリューン美術館展」とは違って、本当にピカソがメインで、他の画家の作品は、ピカソへの影響源として1〜2点展示されているのみ。展示品の時代は、青の時代や新古典主義の時代、また戦後に「子供のように」描くようになった時代と、それぞれ充実している。少なくともピカソキュビスムというような単純な図式は見事に崩されるような展示。

ピカソ絵画を差し置いて、一番印象的だったのは、ピカソに影響を与えたスペインの先輩画家の作品群。サンティアゴ・ルシニョル「ラ・ギャレットの炊事場」、イジドラ・ヌネイ「ロマの女の横顔」。ルシニョルの作品は、スペインの伝統的なボデゴンを彷彿とさせるような写実的な作品で、結局キュビスムがいまだにピンと来てないだけなのではないかという疑念が...。

 

青の時代の作品「スープ」がエジプト絵画からの影響があると指摘されてるのが興味深かった。見たものを描くというのではなく、先験的な知識を持って記号的に描くエジプト絵画に興味を持っていたということは、キュビスムの発想に貢献する部分があったんじゃないかな。

 

ピカソ 青の時代を超えて」展の図録に記載されている東海林洋さんのエッセイにあるように、この展覧会は、ピカソの画業そのものの過程を重視していたという。大きな目的として、ピカソが完成させた絵画の下敷きになっているイメージを掘り起こして見せることにあったようだ。

 

なので、青の時代に描かれた「海辺の母子像」「酒場の二人の女」「青いグラス」の解析動画を見せるコーナーが設置されていた。個人的には、そこまで過程に関心をもてなかったので、さらーっと通ってしまった。まぁ、そのようにして画材を使いまわさなければならないほど、青の時代においてはピカソも困窮していたのだな。

「海辺の母子像」1902年

「海辺の母子像」1902年

「海辺の母子像」拡大

「海辺の母子像」拡大

新古典主義の時代の作品で印象深かった作品。
末端肥大のこれらの絵画の特徴は、どういった効果なり作為があるのだろうか。

あと、なぜか新古典主義時代から撮影OKだったんだけど、線引きが不明。

 

「座る女」1921年

「座る女」1921年

「母子像」1921年

「母子像」1921年

第二次世界大戦後から晩年にかけての作品群は本当に訳がわからなかった。なんとなく岡本太郎味を感じて、シュールレアリズムとキュビスムが混ぜ合わさった感じが大きく影響を与えてるだろうことだけ掴めた。

「女の半身像」1970年

「女の半身像」1970年

同じ図録に記載されている古谷可由さんのエッセイも良かった。これ読んでようやくピカソキュビスム関連の書籍を読むと頻出する「概念のリアリズム」という言葉の意味が飲み込めた。

 

芸術家は(目の前にいてもいなくても)その女性のことを、目にとまる端(心に浮かぶ端)から、つまり「目がぱっちり」「鼻が高くて」「おちょぼ口」「明るくて」「素直で」というイメージを次から次へと描いていく。

 

これが分節的な描き方で、決して伝統的な意味で典型的でも再現的でも、すなわち写実的な描き方ではないが、画家が思い描く女性像という意味では、より具体的な表現となりうる

 

~頭の中でのイメージの集積として表現する「概念的リアリズム」である

 

 

これを補助線としてピカソの絵画を観ると、この展覧会にある「マリー=テレーズの肖像」なんかは実際に当人のチャーミングさが見事に伝わってくるようで、概念のリアリズムを実感できる。

 

常設展もあり、フェルナン・レジェやスーラの絵画も見られて得した気分でした。