「マティス展」東京都美術館、「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」アーティゾン美術館

2023/7/14

久々に東京まで出向いて美術巡り。といっても、前回は5月に来てるので、2カ月ぶりに東京に来たことを久々に感じる自分に驚く。大分、東京が身近になってきたなー。

 

まずは、東京駅手前の新橋駅で降りる。ここに来たのは初めて。

新橋ってうっすら名前だけ聞いていたけど、サラリーマン街として有名なのね。たしかにそんなニュアンスが込められているのを聞いたことがある気がする。

ここで下車したのは、実は目的があったから。

 

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↑この記事読んでから、この「チャーハン王」の炒飯を食べたくてしょうがなかったのだ。駅出てからすぐにあるニュー新橋ビルの地下に。とくに迷うこともなくすぐ見つかった。

記事内では、大盛にできるみたいなことが書いてあったけど、自分が行ったときは大盛りに出来なかった。なので、チャーハンに鶏がらスープがつく普通盛り「チャー王セット」一択。

もちろん、美味いのは間違いなく、きっちり火が通ってるパサパサな米の食感はほんとうにプロのお店でしか食えない味。ただ味が繊細で、大雑把な舌の持ち主としては、もう少し濃い味付けでも良かったかも。来れてよかった。

 

 

マティス展」東京都美術館

その後、あらためて新橋駅から上野駅まで。東京都美術館へ。

平日の昼間だと油断していたら、そこそこの人込みで、「赤の大きな室内」みたいなメインディッシュ扱いの展示前だと混雑しているような所も多々あった。

一応、下記の書籍で予習してから来たものの、正直マティス自体いまだに魅力がきちんと捉えられていないところがあり、展示もザーッと通り抜けるだけになってしまった。

 

例えば色彩の自律を云うなら、厳密にいうと、マティスの方が速いんだと思うんだけど、1910年代には抽象画がでてきているんだからそちらの方がラディカルだよねとか思ってしまう。ピカソの晩年もそうだけど、子供の落書きみたいなドローイングもどう鑑賞していいのかわからず。

オダリスクだとか、室内からの窓みたいな、西洋画によく使われるモチーフが、マティス画くらいにシンプルにすると、モチーフのユニークさそのものとして良く印象に残る。

「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌフォーヴィスムキュビスムから現代へ」アーティゾン美術館

本日、一番の目的はこちら。

アーティゾン美術館には始めてくるけど、外観から想像して以上に広い空間かつ、静謐な空気で以後心地良かった。
そして肝心の展示は、250点以上展示されているそのボリュームが凄かった。18:00~の回から入って、20:00の閉館に間に合わず、最後の展示エリアはかなり駆け足になってしまって、これはとてももったいなかった。

事前に以下の書籍で、日本の現代美術に対して予習できていたので、聞きかじった名前がちょくちょく出てきて楽しかった。

 

 

「具体」の展示会が去年、大阪中之島美術館で開催されていたときは行きたいと思いつつ、都合が付けず行けずじまいだったので、今回まとまった展示を観れたのは本当にラッキーだったと思う。日本の現代美術作品の展示会じたいそんなに頻繁には開かれていない...と思う。

同好者とも話したけど、セザンヌの画期的だったところがイマイチ概説書を読んでも掴めない。そして、実物見てもやっぱりよくわからない。サン=ヴィクトール山を描写した最末期の作品が一個だけあったけど、うーむ。印象派ほど細かく筆触を残さず、のちのフォービズムほど、面で色を塗らないあたりがセザンヌなのかなという、とりあえずの総括。

「フォービスムとキュビスム」というエリアがあり、ここでファン・グリスやメッツァンジェ・グレーズなんかのキュビスム系の画家がまとまって観れたのもよかった。相変わらずどう楽しんで良いのかわからないんだけど、とにかく雰囲気が好き。

今年はこの後に国立西洋美術館で「キュビスム」展もあるし、去年から一般の美術ファンとして企画展の動向チェックする範囲でも、年間で、ある程度様式ごとにまとまった視座が得られるように展覧会が開かれる印象があるけど、気のせいかな。

特にドローネーの抽象絵画が好きだという気付きがあった。この整ったリズムと淡い色合いが好き。で、やはりこの作品が1912年なら、マティスよりよほど革新的なことやってるんじゃないかという疑念がふつふつと。

カンディンスキーが、カンディンスキーの抽象画を完成させるであろう前の時期に、印象派風の筆触を残した絵画を描いていたのも意外で、コンセプト通りに印象派から抽象に至る流れが、エポックメイキングな作品単品を繋ぐような感じではなく、漸進的に遷移する様子を捉えようとする感じがある。

アントニー・ゴームリーの「彫刻の歴史」で知った、ブランクーシの「接吻」が展示されてたのが意外だった。まさかこの企画展のこんなところで実物観る機会を得られるとは。

この間、近美の「重要文化財展」で見た古賀春江の「海」に至る以前の、キュビスム作品が出品されていたのも心に残ってる。そしてその古賀春江に影響を与えたモハ=ナジクの写真が展示もされていて、直接「海」の制作に影響を与えた形成写真が展示されていたら最高だったんだけど、さすがにそこまでは望めず。

ここら辺の影響関係は下記の書籍で細かく書かれているので興味がある人は読むと良いと思う。

 

アンフォルメルとか、アクションペインティングなんかの抽象表現主義まで行くと、正直自分には依然、さっぱり。漠然とカッコ良いとは思うんだけどね。ここら辺は、図録や20世紀美術にまつわる本なんかをもう少し読みこんで勉強する必要がある。今回の展示でまとめて一連の作品を見ると、「装飾的」という言葉が合わないデザインというような感触があって、的確に何かをつかむためにはデザイン史も学ぶ必要がありそう。
重ねてだけど、最後の現代作家のエリアの作品にじっくり向き合えなかったのは残念だった。

最後は、東京駅構内でうどんを食べて終了。