「国宝 仁清の謎」岡 佳子

MOA美術館の「名品展」に合わせて、事前に読んだのがこちら。

 

野々村仁清という人物とその作品がどのように日本社会で受容されてきて、国宝認定人まで至ったのかという文化史を描く。

著者の方は歴史学専攻ということで、仁清にまつわる文献資料の提示とそこから推測されることが事細かに記述されている。頭からこんな調子なので、それが本当に読みづらく、やきものに関する一般的な知識もない身からすると辛かった。

索引で資料は列挙するというような構成で書けなかったのだろうか。

 

 

それでも第一章の「近代化のなかの国宝仁清」の内容が、ここだけでも読んでよかったと思える内容で、昭和二十五年(1950)の文化財保護法にいたるまでの国家の文化財にたいする対策の歴史が非常に勉強になった。

ざっくりとまとめると以下の様。

 

文化財保護法

 

維新後、廃仏毀釈の影響で、社寺の宝物が海外へ流出。

明治20年
宮内省に臨時全国宝物取調局が設置され、全国の社寺が所蔵する宝物の調査が実施。

明治30年(1897年)6月5日
古社寺保存法
指定対象が社寺の宝物と建造物に限定されたもの。

昭和4年(1929年)3月28日
国宝保存法
指定対象を、国有、公共有、私有物件まで広げた。

昭和8年(1933年)4月1日
「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」
国宝に準ずる美術品を重要美術品に認定し、海外流出を未然に防ごうとするもの。

昭和25年までに、約8282件の物件が重要美術品に認定。
国宝は指定、重要美術品は認定の為、所蔵者みずからが文部省に申し出た美術品を、審議する。

昭和25年(1950年)5月30日
文化財保護法
第1条「この法律は、文化財保有し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。」

文化財には、有形文化財無形文化財民俗文化財などが含まれる。そのうちの有形文化財から、より重要なものを文部大臣が重要文化財に指定する。
さらに重要文化財のうちから、
「世界文化の見地から、価値の高いもので、たぐいなく国民の宝たるもの」
を、国宝とする。

 

まとめ

 

あとがきで書かれているように、

作品に触れ、それが語るものを感じたとしても、誰もが納得できる言葉で表すことは難しい。文献から得た知見と合わせることは、なお困難である。

こういった試みがなされた本で、自分がそれを咀嚼するにはまだ難しかった。