『大大名の名宝』静岡県立美術館

2023/11/17

本日は地元の静岡県立美術館にて開催されている『大大名の名宝』展に。

一応、狩野派については以下の書籍で予習済み。

 

 

予習していたとは、頭の中には永徳、探幽、山楽、山雪くらいしか印象づいていないため、展示に登場する狩野派画家の名前が上手く位置付けられなくて、サーっと流すだけになってしまった。

そんななかでも特に引っかかったのが、狩野光信・山楽周辺画『帝鑑図屏風』と、狩野宋眼重信画『帝鑑図・威陽宮図屏風』に描かれている「脯林酒池 ( ほりんしゅち )」の図様で酒でできていると思しき池の縁に複数人が密着して中身を啜っている光景が異様。見入ってしまった。

図録に記載されている「帝鑑図」成立過程も勉強になった。

日本では、慶長十一(一六〇六)年に豊臣秀頼(一五九三~一六一五)が和刻本を刊行したと考えられており、それに基づき、桃山時代の画家たちは「帝鑑図」をさかんに描いた。江戸時代には、儒教政策を掲げた徳川家の方針もあり、「帝鑑図」は障壁画などにおける最も重要な画題の一つとなった。

もう一つが狩野探幽の『白鷴図』で、江戸時代の美術だと狩野派と対置される奇想の画家に含まれる伊藤若冲や、円山応挙の写実性がクローズアップされ、狩野派の画家にそういうイメージが無い。この『白鷴図』はそこらへんの偏見を取り払ってくれるもので、しらきじの質感の表現に上に挙げた画家との共通点を見いだせた。

jmapps.ne.jp

探幽が写生の名手であるという話は冒頭にあげた『もっと知りたい狩野派』にも記述されていて、狩野派の粉本主義(師匠のお手本を模写することを重視する)ゆえにつまらないという定見を崩そうという流れがなんとなく見える。

次に惹かれたのが狩野栄信による『百猿図』で、これは猿のデザインがとにかくかわいい。画面の中で密集しながら色んな演技をしているので楽しい。

jmapps.ne.jp

解説によると、

本作における、画面左端に崖を、再前景に岩を描く構図や、日本の樹木が空間の前後に絡み合うように新調する描写、画面奥から九十九折のように屈曲し、手前へと流れ出る本流の表現に注目すると、栄信は、伝夏珪「山水図」(東京国立博物館)左幅を基に、探信守政本の構図をアレンジしているとみなされる。

とある。

これ、該当の伝夏珪「山水図」というのが、よくわからなかったんだけど、ネットで調べて出てきたのがこれ↓で...、どうみても『百猿図』の基になっているようには見えない。

www.tnm.jp

栄信によって、伝夏珪「山水図」の図様が繰り返し描かれ、援用されることで規範かされたことを示唆する点においても、本作は興味深い作品である。

なので、解説に記述してる上記の内容もイマイチきちんとつかめた気がしないものの、狩野栄信の中国画学習とそれがのちの狩野派に伝播していった流れが具体的に見て取れる作品であるのは間違いない。

特にこの展覧会は、上記の狩野栄信含む木挽町狩野家の流れが掴めるのが、目玉と言ってもよい。典信→惟信→栄信→養信→雅信という個々の絵に向き合うことから、狩野芳崖と橋本雅邦という近代日本画への流れが具体的になると思う。...が、さすがにこちらの学識不足と集中力不足もあって、せいぜい絵を見て解説を確認するような形でとりあえず終了。

 

図録の巻末にある学芸員さん同士の対談がまた興味深かった。

野田 狩野派が伊豆の狩野氏に淵源があるという、伊豆出身説があることから、静岡県美での狩野派蒐集がはじまっています。

静岡県美術館にそんな側面があるという事を初めて知った。今回、ブログを書いていてもデジタルアーカイブが非常に充実していて参照しやすいという事が分かったし、狩野派云々もそうだけど、なにより静岡県立美術館に愛着を持てるような個性を把握できるような展示だった思う。

では、その変わらない狩野派らしさとは何か、というのはすごく大きな問題です。〔……〕狩野元信が形成した要素に端を発するのではないかというのが、現在の私の見解です。〔……〕栄信にとって元信と、その淵源にある馬遠とか夏珪とか、規範となる中国の宋元画の様式には、彼の理想がつまっています。日本においては、室町時代から、宋元画がたいへん重視されていて、室町時代の御物のなかでも最上位に位置付けられていました。〔……〕最終的に狩野派らしい画風というのは、構築的、合理的な画風、つまり、宋元画などの規範的な図様を、有機的なつながりをもって組み合わせる点に特徴があったと、私は考えています。〔……〕その規範となる部分を最終的に整理したのが栄信であり、元信以来の正統的、規範的図様を受け継ぎ、発展させるという歴史認識を栄信が明示したことによって、狩野派は、狩野派らしさを保って近代まで活動的できた〔……〕。

『もっと知りたい狩野派』においては、狩野栄信2ページ設けて簡単に説明されるだけで、子供の養信がやまと絵と漢画の対立を昇華させた功績への種まきをした画家であるというのが特筆されるべきこととして記述されている。なので、この展覧会自体なかなか書籍では確認できない、狩野派キーマンである栄信の功労を知ることが出来るわけだ。

...ただ前述したように、現状、自分には図録で記述されているような細かい知識を消化できるような知識と集中力がないので、また未来に江戸狩野に向き合う時を待とうと思う。

 

もう一つ企画展が行われていて、そちらは『版画でひも解く聖書と神話』というもので、分量は少ないながら、デューラーやバルラッハの版画、クロード・ロランのエッチングなんかが見られてよかった。

全く名前を知らなかった、ヘンドリック・ホルツィウスという画家の版画が気になった。オランダの版画家なんだね。wikiを読むと、輝かしい才能と革新的技術をもっていた、という錚々たる評価。

帰りに気になっていた、県立美術館前の坂にあるたい焼きやでたい焼きを買って帰る。